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館長・中川健造


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中川館長日記

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なかがわ けんぞう

1936年、広島県福山市生まれ。

学習院大学卒業後、家業の中川産業鰍継ぎ、穀物買い付けのため訪れた中国で出会った優れた美術品に感動し、収集を始める。

訪中はこれまでに100回以上を数え、多くの著名人と親交を深める。

1989年、中川美術館を開設。特に中国現代絵画の収集は世界最高級を誇る内容で、米国美術情報誌は、世界のトップコレクターの一人として紹介している。

美術評論家連盟会員。日本中国文化交流協会顧問。
元倉敷芸術科学大学講師

中川健造氏略歴へ

 館長の中川健造氏は、学習院大学を卒業し、家業の中川産業鰍フ仕事の関係から中国大陸に渡る。

文化大革命

 当時の中国は、赤い国、謎の国、竹のカーテンの国といわれていた。「近くて遠い国」といわれて日本からも訪れることは難しい国であった。あたかも、中国は文化大革命が勃発した時期であった。この文化大革命によって、すべての既存の権威が否定され新しい価値観が生まれ、大いなる革命がなされ始めた。博物館、美術館は閉鎖され、優れた美術品はブルジョワ思想のシンボルとして破壊の対象であった。

 その文化大革命の嵐が吹き荒れている時期に遭遇した中川健造氏は、偶然にも中国美術の宝の山に出会った。真っ赤な毛語録に彩られた中国で、破壊される運命にあった美術品を日本に持ち帰ることができる幸運に恵まれた。以来、毎年、中国大陸にわたり中国美術の収集に夢中になる。日本では西洋絵画がもてはやされていたが、中国の美はもっと優れた芸術美を持っていると、中川健造氏は主張してきた。その考えのもとに、中国の美術界の重鎮たちと交流を始め、いつの間にか中国美術界にたくさんの友人かできた。中国美術界の最高権威である中国美術家協会主席・呉作人(ごさくじん)、副主席・古元(こげん)などとの交流がなされ中国美術界で中川健造氏の名声は高まる。

 中川健造氏は中国大陸の各地を回り多くの芸術家と交流を重ねる。苦しい環境のもとで作品を製作している芸術家に光を当てたいという思いに駆られる。

 そんな時期、中国美術家協会主席・呉作人(ごさくじん)から、中川美術館という揮亳が届いた。ぜび、中国の美術を紹介する美術館を作ってほしい。そのために自分で命名し揮亳した。中川健造氏は、呉作人(ごさくじん)主席の熱意に動かされ広島県福山市熊野町に小さな美術館を開館した。中国美術を日本はもとより世界に向けて発信する美術館として名作を紹介したいと努めている。日本中国国交正常化25周年を記念して、中国・北京中国美術館で中川美術館収蔵作品里帰展を開催した。

 1997年5月の柳絮(りゅうじょ)の舞う美しい北京で開き中国の芸術家や多くの美術愛好家に中国の美を再認識させた。20世紀は西洋絵画の時代であったが、21世紀は中国絵画の時代であると楽しみにしている。

 中川健造氏の口癖のように「21世紀のゴッホやピカソはきっと中国から誕生する」という。そして「そんな画家をここへ探しに来て下さい」ともいう。中川美術館のコレクションにふれることは、次代の天才達との出会いを意味しているのかも知れない。

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E-mail:info@nakagawa-art.com