中川館長日記5

中川美術館 館長 中川健造氏の気まぐれ日記です。


2005年7月23日 

パワーボートを楽しむ

 7月7日から10日まで、大阪の友人と愛媛県宇和島の友人の別荘に滞在した。毎年誘われていたが毎回私の都合が悪く、今年はどうしても一緒に行きたいと思い、実現した。友人のパワーボートで行ったのだが、快適で順調な船旅であった。1300馬力のエンジンを2基つけた60フィートの大型ボートである。44ノットの巡航スピードで大島から2時間20分で宇和島に着いた。
私も30歳のとき船舶操縦士の免許を取得したが、瀬戸内海で私が操縦していたボートとは性能も桁違いで感慨を深くした。宇和島は水中の美しさは屈指のものである。水中に潜るのが大好きであった私は、船舶操縦士と同じ頃、潜水士の免許を取得し、水中遊泳を楽しんだものだ。宇和島での水中遊泳は一番の憧れであった。友人には大散財を掛けたがとても楽しい4日間の夏休みであった。
 7月19日、経済リポート社長・西原氏に誘われ昼食会をした。私と弁護士の竹田氏と西原氏の3人で福山の状況について話し合った。
 7月21日、連合福山の平川氏と藤本氏と昼食会をする。論壇風発したものだ。

竹下前知事と

 7月22日、広島に行く。写真展の開幕に出席した。元広島県知事竹下虎之助さんと会う。古い友人と沢山会えてうれしかった。
 7月28日に夫婦で歌舞伎座へ行くことにした。蜷川演出の歌舞伎というものに興味があるからだ。シェークスピア原作の「十二夜」をとても楽しみにしている。


2005年6月29日 

 6月15日、学習院大学の2年先輩の吉川氏の葬儀に参列した。吉川夫人から12日夜自宅に電話があった。吉川先輩との思い出が色々と思い出された。1967年私が、初めて中国へ出かける前の日、吉川先輩の家に泊まったことや、吉川先輩がフジテレビ勤務だったので、私の娘が幼い頃、フジテレビの中を見学させてもらったこともあった。ここ数年程、ご無沙汰していたが、また1人、親しい先輩が逝ってしまい、淋しく思う。葬儀は、川崎市であったが、福山から新幹線に乗り、日帰りで行った。受付で、「中川君」と声を掛けられた。学習院大学の竹内先輩だった。久しぶりの先輩方に会えた。
 6月16日からは、中川美術館の天安門前の日本庭園に、新しく竹垣を作ったり、水撒きをしたり、多忙な毎日であった。自慢の日本庭園の草取りなどもあり充実した日々であった。
 6月20日 広島市に出かけ、友人に昼食会に招かれ楽しく歓談した。私が喋り過ぎた昼食会であった。その後、携帯電話に連絡があったので、NHK広島に豊原氏を訪ねて、打ち合わせをした。
 6月24日 高松NHK文化センターの一行20名が美術館に来訪。中国絵画について説明した。中国美術の素晴らしさに、一行の皆さんは大満足された。
 6月25日、中川美術館ボランティアの3名が集まり、日本庭園に工夫した竹垣の最終点検をする。とても落ち着いた日本庭園となる。
 6月29日 大阪の友人から、四国への船旅に誘われる。7月1日から4日間である。楽しみにしている。


2005年6月4日 

中国大使館にて公使夫妻と
友人たちと夕食会

 5月16日、中国の友人が、やって来るので東京へ出かけた。港区麻布にある中国大使館に向った。厳重な警戒にある大使館に車で乗りつけて、正門から車で入る。車寄せまで出迎えていただいた趙宝智公使参事官夫妻と会う。応接間に導かれ、長時間歓談する。途中、中国著名画家・王氏が加わり、楽しい語らいのひと時を過ごす。今日からのホテル・東京プリンスパークタワーホテルに入る。堤義明氏執念を込めた最新鋭の素敵なホテルである。私は一番新しいものが大好きで、今回はこのホテルにした。友人の日経新聞編集委員N氏との夕食会に招かれ、楽しい食事をした。遅くまで愉快な語らいをして、深夜にパークタワーホテルに帰る。

隣花苑にて
サンモトヤマ会長と

 5月17日、横浜へ行き、新井恵美子女史と会う。友人の新井恵美子さんが三渓園を案内してくれる。新井さんは、神奈川新聞に10ヶ月にわたり「原三渓物語」を執筆されている。本を読んで、訪ねてみたいものだと思っていた。そのお願いをしたら、早速にも、私たち夫婦を、原三渓氏の子孫の西郷さんに紹介していただいた。おいしい昼食を隣花苑でいただきながら西郷槇子などと語らう。夕方、銀座に戻りサンモトヤマ・会長に会う。84歳であるが青年の風貌の会長は、若い時代からヨーロッパを単身周り、ブランド物の輸入を行い、洋品雑貨で日本を制した逸材である。私の中国の物語と会長のパリ、ロンドンの物語などの話に花が咲いた。

人民中国雑誌社一行と 永島トヨさん宅にて

 5月18日、朝、中国の人民中国雑誌社の王衆一編集長一行5名が私たちの泊まっている部屋を訪ねてくれ、ひさしぶりに旧交を温める。
 5月26日、三渓苑・西郷さんのご紹介で、福山で永島トヨさん夫妻宅を訪ねた。永島トヨさんは77歳の時、21歳年下の福山の男性と結婚し、現在84歳であるが、声も大きく、軽やかなお声であった。私もこのように生きたいと強い感動を覚えた。私はハナタレ小僧のような気がした。
 6月2日、日本経済新聞の夕刊の「市民派コレクターたち」にコレクターとして私が掲載された。「中国美術通じ日中橋渡し」をしていると紹介された。多くの反響をいただいて喜んでいる。日中の関係がギクシャクしている今日であるが、私は美術絵画の交流を通じ、より一層の交流を進める努力をしたい。


2005年4月29日 

 4月14日、中国・国営の唯一の日本向け雑誌「人民中国」雑誌社の社長・干明新氏と外事弁公室主任が来訪された。干明新氏とは20年来の中国の友人である。早速、中川美術館を案内した。中川美術館・天安門とその横に満開の桜が寄り添っている光景を何枚も写真を撮っていた。楽しく夕食をして深夜まで語り合った。
 4月15日、干明新氏の希望で広島市の平和記念館へ案内した。夕方福山に帰り、うどんを食べてから我が家で漫談をした。干明新氏は日本語がとても堪能である。

 4月19日、昼食を中学時代からの友人の柔道整骨院の佐藤道康氏夫妻に誘われた。私夫婦と佐藤夫婦で楽しい昼食会であった。佐藤氏は柔道7段で、今でも柔道を教えている。うらやましい限りだ。中学時代からの友人はトテモ好いものだ。夕方には、皿谷専務から誘われ久しぶりに、福山公演のプロレスを見に行った。福山出身のプロレスラーを応援するのが主な目的であったが、久しぶりに興奮したものだ。

 4月22日、35年のお付き合いをいただいている陶芸家の小野寺玄氏が夜、我が家に来られた。深夜まで陶芸について話し合った。人間国宝に指定されるキャリアがあるが、世渡りの下手な人間味のある柔和な人物なので未だ推挙されない人である。ロンドンの大英博物館から小野寺宅にキュレーターを派遣し2点の作品を大英博物館は購入した。世界注目の陶芸家である。友人としてうれしい限りだ。

 4月23日、広島の久保氏の印刷工場落成記念パーティーに出席した。旧知の友人ともあえて楽しい会であった。今後の隆盛を祈る。
 4月27日、「びんご 生と死を考える会」の事務局の方が、先月私が講演した内容をまとめたものを校正してほしいと自宅に来られた。夜、映ペンクラブの会合に、久しぶりに出席した。いつもながら愉快な会であった。
 4月28日、夕方、フィンランド協会の会合に来賓として出席した。

 4月29日、フィンランド大使館一等書記官のユハ・ニエミ氏が中川美術館に来られた。福山商工会議所の方が案内して来られた。熱心に鑑賞される姿に感銘した。午後4時からの日本柔道選手権のテレビをみた。親友・猪熊が19歳で日本柔道選手権者になった時のことを思い出して少し涙が出た。


2005年4月11日 

 4月8日、釈迦誕生日の記念日である本日、福山の友人・近本氏の茶会に招かれた。福寿会館で開かれ、桜も見頃であった。まず香りの席から始まり、濃茶席と続き、薄茶席で茶会はお開きとなり、夕食を楽しみながら俳句を出席者全員で詠んだ。朝10時から午後9時までの楽しいい茶会の一日であった。

 4月9日、中川美術館で釈迦誕生日を祝し、「釈迦七尊像」を特別公開した。専明寺の原田住職が花祭りの讃歌を唱えて下さり,引き続き釈迦誕生の意味、意味などを我々にわかりやすく説明してくださった。

 4月10日、山田流佐藤社中による琴の演奏があった。京都、奈良、神戸からも7名特別参加され、総勢14名で演奏をおこなった。天気予報が雨であったので、朝は晴れていたが、急きょ美術館の展示室内で行うことにした。
 しかし、昼になっても晴れていたので、午後は当初の計画通り、天安門前の日本庭園で行った。美術館内は音響が良く素敵な演奏がおこなわれた。外は緑の中での演奏も、どちらも趣きが異なって良かった。お釈迦様もきっとご満足いただけたことでしょう。


2005年3月26日 

 3月21日、NHKラジオ深夜便で私の友人の横浜の新井恵美子さんがラジオ出演した。午前2時からの予定であったが、福岡の大地震の関係で、1時間放送時間が遅れた。結局、それから5時までの2時間にわたりずっと起きていた。新井さんは、芸術界の巨星・岡倉天心を書き、財界の巨星・原三渓を神奈川新聞に連載し大好評を受けた。名文家である。
 この深夜放送の番組は、新井さんの自書である名書「昭和の歌姫」を中心に、語りと、懐かしい歌が交互に流れ、とても良かった。私が幼い頃、いつも父と音楽を聴いていたことを懐かしく思い出した。感動の深夜放送であった。
 3月23日、知人の新聞記者が転勤するので送別会をおこなった。ごく内輪の会であったので、私の大学時代に流行った歌声喫茶で歌った思い出の歌「惜別の歌」を唄って、自分の青春を思い出したものだ。
 3月24日、友人の竹田弁護士と早朝会談をした。夕食会はよくおこなっていたが、これからは午前7時からモーニングサービスを取りながら早朝漫談会をおこなうことにした。とても意義ある話が聴けて楽しかった。
 3月25日、地元画家・中西和男さんの両親から先般の天満屋画廊での個展のお礼に夕食に誘われて出かけた。喜寿を迎えられたご両親から楽しい話を聞くことができた。

 3月26日、午後2時より、市民参画センターで講演をした。長外科医院・数野院長の依頼により「老いをどう生きるか」をテーマに1時間の講演をおこなった。熱心に聴かれメモをとられている皆様の姿に、私も熱が入りお話をした。午後4時10分に終了し、美術館に帰る。
 今日は朝から中川美術館の中川式庭園の大改造の最終段階を続けているので、楽しくて仕方がない。講演会の終了後、美術館の庭園に帰着後、日没まで庭園の手入れをする。友人の壇上・庭園士が情熱を込めて仕上げをした。満足できる素晴らしいものに出来上がった。
これで、中川美術館での4月9日、10日の両日、釈迦誕生の花祭りの行事に花を添えることになると思う。


2005年3月19日 

中西先生と

 3月15日、天満屋福山店美術画廊で「中西和雅 絵画展」が始まった。実行委員会会長となり、10人の福山市内友人も快く実行委員となって地元で活躍している無名の画家を支援してくださったことに心より感謝している。開催初日、平日ではあったが、私の友人たちも多く詰め掛けてくれた。2005年新春、東京銀座画廊美術館で開催された日本のアート・アカデミージャパン展覧会に於いて、多くの作品の中から、中西先生の作品が美術評論家連盟より審査員特別賞を受賞された。中西先生の今後益々の活躍を期待している。美術評論家として私が大いに推薦した初めての日本人油絵画家である。きっと大成されることでしょう。
 3月16日、大阪に行った。毎日放送の松田氏と積水ハウスの松本氏と楽しく昼食をしながら漫談をして、松本氏の常務取締役就任を祝したのである。昼食の後、毎日放送鰍訪問して、常務取締役・河内一友氏とゆっくりと語り合った。ライブドアとフジテレビのことも話題になった。意見が一致した。新しい時代に敬意を表したいものである。
 常務取締役・河内一友氏とは度々会い語り合う。今日も2時間も語り合ったが事務所内は決裁をもらう人が大勢待っていた。夜帰る。
 3月17日中川美術館4月の行事について協議する。
 毎年、中川美術館では釈迦誕生を祝う花祭りに釈迦七尊像を特別公開している。今年は4月9日、10日の2日間開催することに決定した。
私は、この釈迦の前で座禅を組むのが最高の健康法としているし、私の安らぎのひと時でもある。

日本庭園の工事

 3月19日、今日は、中川美術館の天安門前広場にある日本庭園を大幅に変える工事を行った。中川美術館のボランティアの友人たちが集まり、それぞれの特技を発揮して素晴らしい日本庭園に一皮むけた変化をなした。4月9日と10日(日)の両日だけ公開する釈迦七尊像の準備の一環として、天安門前で当日、琴の演奏をおこなうためにおこなった日本庭園の改良なのである。お釈迦様の慈しみの満ちた温顔に多くの人に接していただいて、温かい心を持っていただきたいものである。
 さて、F1マレーシアGPで、大ファンである佐藤琢磨が発熱のため欠場したのは、残念であった。


2005年3月8日 

 3月1日、誠之館昭和20年卒業の同窓会一同30名が来訪される。
母校の卒業式を訪ねて後の中川美術館への来訪であった。78歳の年を感じさせなく皆さんは生きいきと活発でうらやましい限りであった。熱心に鑑賞され、私の解説を盛んにメモに取られていた。私は、その若々しさと好奇心に大いに感動した。78歳の青春を謳歌されている皆様に心から拍手をお送りした次第です。
 3月4日から2005年のF1レースが開幕した。私も冬篭りより醒めて中川美術館も開館した。中国美術の宣教師として今年も愉快に中川美術館ファンと語り楽しい美術館としたい。昨年9月の上海での初FTレースに招待されて楽しんで以来、すっかりF1フアンになったのである。今年のF1第1戦オーストラリアGPでの佐藤琢磨の活躍を楽しみにしていた。しかし、予選でスリップして、決勝は最後尾からのスタートで、残念ながら14位に終わった。次回のマレーシアGPでは頑張って欲しいものだ。
 3月8日、大牟田市の商工会議所の商店街活性化委員の一行が来訪された。日本各地で商店街の活性化を得意なアイデアでリードしている江島女史が一行を案内される。とてもいい雰囲気で漫談が出来、有意義な時がもてた。文化性を取り入れ、大切にすることが大切であることを語り合った。世界に誇る最高の中国の磁器、注目を集めている油彩画家の作品、始皇帝の銅車馬二分の一の複製、世界最高クラスの大きさを誇る端渓硯などをじっくりと鑑賞された。発想の転換することが出来たと話された。温かい日和であった。


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